ボビージョーンズ 28歳の若さで「グランドスラム」を達成した1930年、その年、アマチュアのまま引退する。「球聖」の名にふさわしく輝かしい生涯をおくったジョーンズはセントアンドリュースについて語って
いる。
オールドコースは世界中で最も予想のつかないコースである。
隠れた起伏、バンカー、くぼみ、そして小さなマウンドがたくさんあり、
地面が硬くなればなるほどゴルファーを途方に暮れさせる。
GAJのゴルフの旅はアメリカ本土を主として旅してきました。摂氏40度を越える熱風の中のパームスプリングス、横なぐりの海風が100ヤードのショートホールにドライバーを求めたペブルビーチ、1人目が右、2人目が左の目、3人目が鼻、4人目が口とミッキーマウスにお絵描きしたマイアミのゴルフ。プレー中、ロケットの発射を見ることとなったオーランドの旅 。また、プレー中、ミゾレに見舞われたアリゾナ砂漠のゴルフなどなど。課題をもって赴く旅でも予想しないハプニングとの出会いが面白いのがゴルフの長所。しかし、今までの旅で何か物足りないものがあるとすれば、ゴルフの原点、歴史厚い「聖地」でのプレーです。
話の始まりはこうでした。 1800年代後半創刊されたゴルフ雑誌「Golf」1905年1月号の紹介記事の1文にこだわりを感じました。語っているのはジョン・ヘンリーテイラー「ゴルフ3巨人」と呼ばれた名手。
オールドコースでもいくつかの神経の振られるホールがある。
ティーショットを左側に打とうとすると神経が左に集中する。
2打目、右に曲がったグリーンにのせようと身構える。
今度は神経が右に集中する。
神経が左右に振られることで脳が混乱するのか、いきなりミスが多くなる。
ゴルフ3巨人のひとり、名手ヘンリー・テイラーをおそう「混乱する脳」、この名手の混乱する脳の働きに限りなく重い存在感を感じました。
ロンドン経由15時間、とっぷり暮れたエジンバラに下り立った私達は初めての「聖地巡礼」に脈拍も心拍数もかなりの上昇があった事は確かです。ホテルに向かうバスの中から雨に濡れた中世都市エジンバラの街は、エジンバラフェスティバル最後の日、60万人の花火大会の夜に私達はエジンバラを訪ねたことにこの上ないハッピーを感ぜずにはいられませんでした。長旅の疲れと、哀愁をおびたバグパイプに耳を傾ける2夜をエジンバラで過ごしました。
2001年9月3日月曜日、朝8時30分エジンバラのホテルを出発していよいよセントアンドリュースに向かいます。バスはエジンバラの市内を通り、街を半周してホース湾にかかる長い鉄橋を渡ると進路を西北西にとり、40キロ離れたセント・アンドリュース目指してどんどん走っていく。途中のキルカルディーのあたりまでは、工場や新しい団地も見られましたがその先は全くの田園地帯。ライ麦畑やジャガイモ畑そして牧草地がゆったりと波打ちながら果てしなく続きます。 エジンバラを出発しておよそ1時間40分、前方にセント・アンドリュースの教会の高い塔が見えてきた。ゴルフコースの草原の横を通ってバスは今日から3日間、私達の疲れるであろう身体と心を癒してくれるオールドコースホテルに着きました。
さて今回の旅でプレーするコースと、コースを選択した理由についてお話ししておきましょう。まず9月3日月曜日のプレーは1897年12ホールでオープンしたジュビリーコース。(JUBILEE COURSE)オールドコースよりさらに海側に位置するこのコースは、とびっきり上等の風と、コンクリートのようなフェアウェーに経験のない私達が明日にひかえるオールドコースプレーに際して、各クラブの飛距離、グリーンのタッチ、アプローチ、風、気温など気持ちをまとめる上で選択されたコースです。
「聖地中の聖地」オールドコースは9月4日火曜日のプレーでした。このコースが姿を現したのが1420年以前と推定され、今回このコースでプレーする12人のプレーヤーはそれぞれの思いでこの朝を迎えました。昨年2000年のジ・オープンはこのオールドコースで開催され、テレビでの放映は私達がオールドコースでプレーする上で大変多くの教材を提供してくれました。ジ・オープンと同じコースでプレーするという感動は1番ティーショットで背中に重い歴史を感じました。ゴルフの総本山R&A、深いバンカーにはオールドトムモリスが立っていて、ラフにはタイガーが、グリーンにはジャック・ニクラウスが立って腕組みしながら私達のプレーを見つめている、私にははっきりとそう感じることができました。
オールドコースの設計と補修に大きな関わりをもっているといわれるオールドトムモリス (1861年、62年、64年、67年の全英オープンで優勝) 彼の設計法は瞑想と徘徊のくり返しで、いかに原型のままコースに仕立てるかが彼の終生のテーマと聞きます。
3時間45分のオールドコースチャレンジのプレーは終わりました。
乾燥して固く引き締まったフェアウェーは舗装道路も顔負け、金色に輝くハリエニシダと淡い紫色の「フェザー」はティーグラウンドから私達の視界をさえぎり、目標の確認をこばんでいる。自然は存在するだけで十分ペナルティーになり得ると感じます。このコースで人の手が入った場所はティーとグリーン、そして120のバンカーが生贄のボールを待ち構えている。自然との一体感に浸ってプレーを終えたことに歓喜し、ひとときの放心状態を体験したことに「乾杯!」
3日目第3戦は9月5日の水曜日、出来立てホヤホヤのキングスバーンゴルフリンクスです。スコットランドの人々は海にのぞんだ断崖の道を散歩するのがことのほか好きなようです。
このような自然路はけもの道、バードウォッチングの道などで海沿い至るところに道があります。1420年以前と推定される6ホールだけの「クレイルゴルフクラブ」は、こうした1本の自然路が走るヒースに覆われたとびっきり強い風のふく岬の砂丘の先端につくられたといわれます。やがてこのコースは姿を消すことになりますが、このコースがオールドコースとほぼ同年代にこの岬の先端につくられた事が、キングスバーンコースでのプレーを選んだ理由といえましょう。北海に面した断崖に作られたこのコースの風は冷たく湿っていて重い、横なぐりの風に金色のヒースが輝く。ニキビのように吹き出すフェアウェーのバンカーはティーグラウンドでしばし私達を途方に暮れさせる。コースの端の自然路にバードウォッチャーの姿が見られ、北海の青い空は、茫洋としか表現しようのないこの光景にしばし絶句して立ちすくみました。
異なった3つの歴史厚いリンクスをプレーした感動は、コースから計り知れない経験と共にヘンリー・テイラーの「混乱する脳」について答えが用意できたことを確認した旅でした。
今回12人のプレーヤーと1人の旅人、13人の方々と共に喜びと感動で過ごしたスコットランドリンクスの旅、私にはその費やされた時間の豊饒さに胸うたれる思いは日に日に大きくなっていくことに驚きを感じています。
いま一つ心ときめく出来事がありました。9月4日(火曜日)の午前11時、オールドコースをホールアウトした私達はクラブハウスに帰るべく1番ティー横のキャディー室の前でカートに乗っていました。ベレーをかぶった初老のプレーヤーがキャディーバッグを引いて私達のカートに乗ろうとしています。白いあごひげ・鋭い目、この目に見覚えあり、 あの007・ジェームスボンド氏ではありませんか。氏は最近エリザベス女王より「サー」の称号を与えられ、キャディーは彼を「サー」「サー」とよんでいました。
何はともあれ、歴史厚いオールドコースに、ショーン・コネリーの登場もあって「聖地巡礼」の旅はミーハー的お土産話も入ることとなりメデタシメデタシの旅でした。
オールドコースは世界中で最も予想のつかないコースである。
隠れた起伏、バンカー、くぼみ、そして小さなマウンドがたくさんあり、
地面が硬くなればなるほどゴルファーを途方に暮れさせる。
GAJのゴルフの旅はアメリカ本土を主として旅してきました。摂氏40度を越える熱風の中のパームスプリングス、横なぐりの海風が100ヤードのショートホールにドライバーを求めたペブルビーチ、1人目が右、2人目が左の目、3人目が鼻、4人目が口とミッキーマウスにお絵描きしたマイアミのゴルフ。プレー中、ロケットの発射を見ることとなったオーランドの旅 。また、プレー中、ミゾレに見舞われたアリゾナ砂漠のゴルフなどなど。課題をもって赴く旅でも予想しないハプニングとの出会いが面白いのがゴルフの長所。しかし、今までの旅で何か物足りないものがあるとすれば、ゴルフの原点、歴史厚い「聖地」でのプレーです。
話の始まりはこうでした。 1800年代後半創刊されたゴルフ雑誌「Golf」1905年1月号の紹介記事の1文にこだわりを感じました。語っているのはジョン・ヘンリーテイラー「ゴルフ3巨人」と呼ばれた名手。
オールドコースでもいくつかの神経の振られるホールがある。
ティーショットを左側に打とうとすると神経が左に集中する。
2打目、右に曲がったグリーンにのせようと身構える。
今度は神経が右に集中する。
神経が左右に振られることで脳が混乱するのか、いきなりミスが多くなる。
ゴルフ3巨人のひとり、名手ヘンリー・テイラーをおそう「混乱する脳」、この名手の混乱する脳の働きに限りなく重い存在感を感じました。
ロンドン経由15時間、とっぷり暮れたエジンバラに下り立った私達は初めての「聖地巡礼」に脈拍も心拍数もかなりの上昇があった事は確かです。ホテルに向かうバスの中から雨に濡れた中世都市エジンバラの街は、エジンバラフェスティバル最後の日、60万人の花火大会の夜に私達はエジンバラを訪ねたことにこの上ないハッピーを感ぜずにはいられませんでした。長旅の疲れと、哀愁をおびたバグパイプに耳を傾ける2夜をエジンバラで過ごしました。
2001年9月3日月曜日、朝8時30分エジンバラのホテルを出発していよいよセントアンドリュースに向かいます。バスはエジンバラの市内を通り、街を半周してホース湾にかかる長い鉄橋を渡ると進路を西北西にとり、40キロ離れたセント・アンドリュース目指してどんどん走っていく。途中のキルカルディーのあたりまでは、工場や新しい団地も見られましたがその先は全くの田園地帯。ライ麦畑やジャガイモ畑そして牧草地がゆったりと波打ちながら果てしなく続きます。 エジンバラを出発しておよそ1時間40分、前方にセント・アンドリュースの教会の高い塔が見えてきた。ゴルフコースの草原の横を通ってバスは今日から3日間、私達の疲れるであろう身体と心を癒してくれるオールドコースホテルに着きました。
さて今回の旅でプレーするコースと、コースを選択した理由についてお話ししておきましょう。まず9月3日月曜日のプレーは1897年12ホールでオープンしたジュビリーコース。(JUBILEE COURSE)オールドコースよりさらに海側に位置するこのコースは、とびっきり上等の風と、コンクリートのようなフェアウェーに経験のない私達が明日にひかえるオールドコースプレーに際して、各クラブの飛距離、グリーンのタッチ、アプローチ、風、気温など気持ちをまとめる上で選択されたコースです。
「聖地中の聖地」オールドコースは9月4日火曜日のプレーでした。このコースが姿を現したのが1420年以前と推定され、今回このコースでプレーする12人のプレーヤーはそれぞれの思いでこの朝を迎えました。昨年2000年のジ・オープンはこのオールドコースで開催され、テレビでの放映は私達がオールドコースでプレーする上で大変多くの教材を提供してくれました。ジ・オープンと同じコースでプレーするという感動は1番ティーショットで背中に重い歴史を感じました。ゴルフの総本山R&A、深いバンカーにはオールドトムモリスが立っていて、ラフにはタイガーが、グリーンにはジャック・ニクラウスが立って腕組みしながら私達のプレーを見つめている、私にははっきりとそう感じることができました。
オールドコースの設計と補修に大きな関わりをもっているといわれるオールドトムモリス (1861年、62年、64年、67年の全英オープンで優勝) 彼の設計法は瞑想と徘徊のくり返しで、いかに原型のままコースに仕立てるかが彼の終生のテーマと聞きます。
3時間45分のオールドコースチャレンジのプレーは終わりました。
乾燥して固く引き締まったフェアウェーは舗装道路も顔負け、金色に輝くハリエニシダと淡い紫色の「フェザー」はティーグラウンドから私達の視界をさえぎり、目標の確認をこばんでいる。自然は存在するだけで十分ペナルティーになり得ると感じます。このコースで人の手が入った場所はティーとグリーン、そして120のバンカーが生贄のボールを待ち構えている。自然との一体感に浸ってプレーを終えたことに歓喜し、ひとときの放心状態を体験したことに「乾杯!」
3日目第3戦は9月5日の水曜日、出来立てホヤホヤのキングスバーンゴルフリンクスです。スコットランドの人々は海にのぞんだ断崖の道を散歩するのがことのほか好きなようです。
このような自然路はけもの道、バードウォッチングの道などで海沿い至るところに道があります。1420年以前と推定される6ホールだけの「クレイルゴルフクラブ」は、こうした1本の自然路が走るヒースに覆われたとびっきり強い風のふく岬の砂丘の先端につくられたといわれます。やがてこのコースは姿を消すことになりますが、このコースがオールドコースとほぼ同年代にこの岬の先端につくられた事が、キングスバーンコースでのプレーを選んだ理由といえましょう。北海に面した断崖に作られたこのコースの風は冷たく湿っていて重い、横なぐりの風に金色のヒースが輝く。ニキビのように吹き出すフェアウェーのバンカーはティーグラウンドでしばし私達を途方に暮れさせる。コースの端の自然路にバードウォッチャーの姿が見られ、北海の青い空は、茫洋としか表現しようのないこの光景にしばし絶句して立ちすくみました。
異なった3つの歴史厚いリンクスをプレーした感動は、コースから計り知れない経験と共にヘンリー・テイラーの「混乱する脳」について答えが用意できたことを確認した旅でした。
今回12人のプレーヤーと1人の旅人、13人の方々と共に喜びと感動で過ごしたスコットランドリンクスの旅、私にはその費やされた時間の豊饒さに胸うたれる思いは日に日に大きくなっていくことに驚きを感じています。
いま一つ心ときめく出来事がありました。9月4日(火曜日)の午前11時、オールドコースをホールアウトした私達はクラブハウスに帰るべく1番ティー横のキャディー室の前でカートに乗っていました。ベレーをかぶった初老のプレーヤーがキャディーバッグを引いて私達のカートに乗ろうとしています。白いあごひげ・鋭い目、この目に見覚えあり、 あの007・ジェームスボンド氏ではありませんか。氏は最近エリザベス女王より「サー」の称号を与えられ、キャディーは彼を「サー」「サー」とよんでいました。
何はともあれ、歴史厚いオールドコースに、ショーン・コネリーの登場もあって「聖地巡礼」の旅はミーハー的お土産話も入ることとなりメデタシメデタシの旅でした。
スコットランドリンクスの旅を終えて


ティーグランド横を通りバードウォッチングの自然路

